<与えられてこそ得る真の力>
”師匠を探す事”
スピリチュアルの世界において、修行をするには必ず師匠に習うようにと、霊能力の開花について調べた事のある方は、読んだ事があると思いますが、
これは本当の事で、修行をするには必ず誰か教えてくれる人に出会う事が大切です。
そしてそのタイミングとは、自分自身が決める事も勿論ですが、霊能の世界の導きは、宿命に限りなく近い運命ですから、それ以上に相手から言われたタイミングが、最善のタイミングであり委ねるべき時期と言えるでしょう。
霊能力とは、以前の記事にも記載いたしましたが元々は人類皆にある程度は備わっておりました。
しかしながら、言語や技術の進歩、信仰の薄れから、転生するごとに素質そのものも薄れて行き、今となれば「素質がある者」の方が特別のように感じられるような世の中になってまいりました。
私達には皆、エネルギーの源となるチャクラというものが身体に存在しております。
チャクラからエネルギーを循環させて、霊視などを行うのですが、このチャクラが全て開いた状態が、その人の中の「開花」に当たります。
限界値、最大値まで引きあがった状態です。
しかしながら、真のスピリチュアルリズム、すなわち無制限の向上と桁違いのパワーを得るには、
天上から送り込まれる神通力や中級~高級霊たちからのエネルギーが必要になってまいります。
本来師匠は教えるだけであるのかというと、やり方を教えるだけではなく、自分自身のエネルギーを弟子に送り込んで吸収をさせます。
それにより、送り込まれた者の身体の中でチャクラに変化が起きます。
送り込むエネルギーは神通力ですから、神通力を大量に送り込まれた者は、
チャクラが変質して、以降神通力を受けたり、吸収できる身体に変化するのです。
そうなれば、自分が使いたい時に、天上から神通力を借りて自らの力として発揮する事が出来ますし、中級~高級霊のエネルギーやメッセージも受ける事が出来るようになります。
ハイヤーセルフに繋がる、という事の本当の意味は、高次元のエネルギーやメッセージを受け取ったり、自分自身で問いかけをして、意思の疎通を取る事を指します。
これは、神通力が使えるチャクラに変わらないと不可能な事です。
すなわち、何もせずに誰しもが努力すれば出来るかと言うと、それは嘘となります。
神通力が無い状態で繋がるとするならば、無欲な人間であれば可能ではありますが、この世に無欲な人間は存在しない為、不可能と言う事になります。
神通力を使うようになる事で、縁結びや縁切り等の施術も出来るようになってまいります。
使えない者が施術をしようとするとどうなるかというと、念の強い者であれば、ただ依頼者に自分の念を押し付けて、自分の生霊を憑依させてしまう事になるのです。
念が無い者であれば、何も起こる事が無ければ、変化や改善も見込めないという事です。
また、いずれにせよ出来ない者が真似事をしようとすると、低級霊が嗅ぎつけてやって来て、憑依をして来たり致します。
ちゃんと出来ると師匠から許可を貰ってから、正しいやり方で行わないと自分も、依頼者も、お互い自滅行為となってしまいます。
このように、しっかり施術も出来る強い霊能者になっていきたいのであれば、
神通力を使うちゃんとした師匠について、勉強していく事が一番です。
”自分と向き合う修行”
同時に、修行には力だけではなく、自分自身の内省や悟りがかなり大切になってまいります。
自分一人ではどうしても気づけない領域も御座いますから、師匠に導かれながらです。
エネルギーを貰うだけでは宝の持ち腐れで全く成長には繋がりません。
自分自身で内省する事です。内省する事で、悟りを得て主観や感情が抜けて行き、自らの身体を入れ物として理解する事で、天上からのメッセージも受け取りやすくなります。
霊視や透視とは、自分自身の身体から発現する「人間の範囲での能力」で視ている訳ではありません。
自らの霊的な力と、高次元(中級霊・高級霊から、もしくは天界から)のメッセージを掛け合わせて視ております。
要するに、霊能力ひとつを発動させるにも、自分の力だけでは足りないため、自らが媒体となり、あらゆる次元から得たエネルギーを使って視る、という事です。
そして、そのメッセージを正確に受け取れるようにするために瞑想が大切となってまいります。
私たちは力ひとつを発動させるにも、多くの助けを得ております。
直接携わらなくとも、視て感じて、学ぶ事で得る悟りも多くある事でしょう。
この世では、孤独で成しえるものは存在しないのです。
それは、私たち人間が、友となり、夫婦となり、家族となり親子となり、社会を生きる上でも集まりあって生きていかなければならないところにも、共通した真理が見出せる事でしょう。
決して一人では成し得ない大きな力を、多くの支えによって習得する事が「修行」です。
そして、神通力を無冠様に借りている事も含めてです。
その為、その力を自分本位な目的にのみ使おうとすると、力の通信が一切途絶えてしまうのです。
霊能力が私欲に使えないのは、これらの協力者達が協力を断つからであるとも言えるでしょう。
”待ち受ける運命と、試練について”
霊能に導かれる者は必ず辛い試練というものが御座います。
試練もまた、与えられる物です。
人間一人ひとりにも「カルマ」として試練は御座いますが、霊能者になる者の試練というものは、その辛さは一般人に比べて計り知れないものが御座います。
人の痛みを分かる為に、この上なく辛い痛みを感じたり、人を救う為に孤独さを感じたり、誰かを大切にする為に大切な人を失ったり、試練を通して、悪しき存在のほか、自分自身の未熟さとも向き合い戦っていく事で、悟りを開く事が出来ます。
勿論これは、強くなる強さによって異なるうえに、自らが霊能を選択してもしなくても、既に人生に組み込まれたものになります。
その自らの試練を軽くする為にも、修行にいち早く励んだり、出会った仲間同士で助け合ったりも致します。一人ひとりの成長が、全体の成長につながります。
仮に霊能への道を拒絶し遠ざかったとしても、自らの人生プログラムに組み込まれた事は起こりますから、例えば表面上は何もアクシデントやトラブルが一見無いように見えても、実際は目に見えない部分で必ず生きる上で自らを省みるきっかけが訪れたり、自分自身の今まで生きてきて培った「主観」や「自我」を打ち砕かれる出来事というものが御座います。
その結果、霊能への関心や興味が引き付けられる運命に導かれてまいります。不思議と、そうなるのです。そして経験を通して気づきを得た者達が先頭に立ち、人々を導き、率いてまいります。
今読んでくださっている霊能者になりたいと思っている方は、今まで生きてきた中で何度そう感じてきたでしょうか。
宛てがなく、探していた時期もあるかもしれません。調べるだけで終わるときもあったでしょう。
その時から、この世界への扉は開き始めております。そして、初めて関心を持った方は、今まさに扉が開き始めています。
直観で今、扉が開いたと思ったのであれば、勇気を出して飛び込んでみる事で、大きな幸せを手にする事が出来るでしょう。
霊能力への目覚めは、本来であれば大きな喜びです。
試練は、産まれた時点で課されており、生きる者全員に存在をするものですから、避けては通れない物です。
予感を感じた時が、「その時」です。
自らの手で解決できるようになりたい、悪しき者に立ち向かう勇気や力が欲しい、大切な存在を助けたい、守りたい、強い信念に変わってまいります。
飛び込むチャンスを逃したとしても、本当にあなたにとって、その道が必要であるならば、また巡り巡って、同じ選択を迫られる時もあるかもしれません。
しかしながら、その時は既に、最善を過ぎた時です。タイミングを取り戻すのに、余計な回り道が発生する可能性もあります。
努力次第で、同じ力や悟りは得る事が出来るでしょうが、周囲の人々やこの宇宙全体に流れている時の流れは、待ってくれるものではありません。
そうです、運命は待ってくれるものではありません。
「もしかして」と思ったその時に、自らで切り開いていくものです。
その瞬間に、今まで感じていた世界が、より大きな世界に変わる事でしょう。
自分の世界としていたものが、どんなに小さい物であったかを思い知る事でしょう。
そして霊能の道を志すのであれば、宇宙全体の霊的プロジェクトを理解する事、そして仲間同士を尊重し合う事です。
自分ひとりが全体に繋がる、全体の影響は自分たち一人ひとりにも繋がってくる、その繋がりの大切さをしっかりと胸に刻む事です。
そして、霊能者を志さずとも、スピリチュアルの世界に惹かれていたり、関心あってこの記事を読んでいらっしゃる方々も多くおられる事でしょうが、貴方がた一人ひとりにも「カルマ」として、人生において様々な試練が設定をされております。
自らを省みるきっかけとなる苦しい出来事や、悔しいと感じる出来事、悲しい出来事などがある事でしょうが、その際に自らの過ちに気が付く事が出来るかどうかです。
その時に改心が出来ればよいですが、どうにかして自業自得な思いは回避しようと足掻き、更に加速して悪い方向に堕ちていく人間も、世の中には多く存在を致します。
そもそも内省のタイミングで、その発想すらない人間も多く存在します。
また、誰も見ていないから良い、自分だけ助かるからそれで良い、ごまかせば良い、嘘をつけば良い、そういった考えで居続ける人間は、更生しようがないですから、最後万物の源である無冠から、必ず罰を与えられます。
同じような悪い人間から騙されたり、金銭的にかなり厳しい状況に陥ってものすごく苦労をしたり、周囲の人間から恨みを買って交通事故に遭ったり、病気になる事も御座います。
無冠から罰を与えられる、それが俗に言う天罰というものです。鏡の法則とも言えますが、必ず自分に返ってまいります。
ですが、今の世の中においては悪魔が蔓延っており、悪いものが助長され、根本の悪を持つ者達が守られている、そんな間違った世の中になっております。
更生すべき存在の悪の部分を助長し、内省どころか自分の都合が悪い者に対して憎しみや恨みすら抱くような、そんな風に世の中に悪い意味で干渉をしております。
本来人間達が生まれてくる為の目的、「魂の成長」の根本が邪魔をされているという事になります。
そして最終的には結局、悪魔についていけば統合をさせられたり、自分や周囲に不幸な事が起こります。
実際、自業自得で罰が与えられるのと、他者(悪しき存在)の影響で不幸が訪れて苦しい状況になる事は、全く違う事ではありますが、最終的に悪に染まり切ってしまい、改心しようのない人間という者は、どうしようも御座いません。
どうしようもない中、悪しき存在に魂を飲み込まれ、永遠に闇に彷徨う事は、非常に苦しい事です。
また、悪しき存在に利用をされて、悪行を重ねる事も本来の魂自体の願いを裏切る行為となる為、最終的には迷走を早急に終わらせる事が、苦しみの解放となります。
つまり罰として悪に染まり切った存在諸共、無冠の手により終わりを迎える事は、無冠からの「慈悲」であるという事です。
<まだ知られざる無冠の存在、この先の世界について>
今の世の中は、悪しき存在が基盤となり構築されております。良い人間や他者に攻撃をしない者達が虐げられ、親切心を抱いたものは裏切られ出し抜かれる事もあります。
他方で他者に攻撃をしたり、他者を出し抜いて卑怯な事をしようとする者達ばかりが強者として成り立つ弱肉強食の世界が出来上がっております。
知らず知らずのうちに、皆様に本来生まれる時から予定されていた試練以上の余計な苦しみや不幸が、世の中に振りかかっているような状況です。
あらゆるスピリチュアル関連の書き物や言い伝えにも御座いますが、最終的に最後の戦いの時代に入ってまいりました。
人類がスピリチュアルへの関心や信仰を隠し、政界や芸能界を始めとする世の中の基盤に悪が萬栄しているこの環境が整った事がまず、終わりの始まりなのです。
しかしながら、嘘が混じっているとしても、あらゆる媒体や言い伝えで真理が語り継がれてきている事、そしてそれらの話を元にあらゆる作品が残されている事は事実です。
そしてそれらがある程度、今を生きる私達の気付きの助けになっているという事です。
大昔の人物たちが、何の為にあらゆる書物や言い伝えを残したのか、という事です。
無冠とは、この世の全てを創造したと同時に、光の存在そのものであります。
光の子、と言うのは、無冠から生まれた存在という事です。
最終的に戦いに勝つのが光側である理由は、この世界を無観が作ったからであり、無冠と光側が断ち切れない繋がりを持っているからです。
そして闇も、光があるからこそ生まれた存在であるからです。
全ては無冠の手の内という事です。
天上の存在が何故無冠と言われるか、それはこの世を生きる者達にとっては目に見えず触れる事も出来ない、全てを指すからです。
定義づけて言い表せない存在、そして人前に現れる事も無い存在・・だからこそ、「無」冠様なのです。
最終的な闘いの末に残された、この世を生きる全ての者達は、無冠のもとで善か悪か、見定められます。
審判を下されるのです。
悪を守る後ろ盾が消え、今まで通りの誤魔化しが一切通じない中で、善とされるものも、悪とされるものも、各々違った慈悲を与えられます。
生きる者も、生きていない者も、別の次元に存在している者達も、天上、地獄にいるものも、全ての者達に与えられるのです。
本当の「世界の終焉」とは、今あるこの世界の終わりを指します。
悪の萬栄する世界です。そしてそれが解っているリリスや悪魔組織の者達は、未だ影を潜めて、表に出てこないようにしております。
出て来たら負ける事が解っているからです。しかしながら、少しずつ騒ぎを起こしたり、相も変わらず世の中をかき乱す事をしております。
ただそれを隠しながら計画的に進めている悪魔派により、報道が揉み消されて、情報の操作も行われている事から世間が事の重大さに気づいていない現状も御座います。
まさか、と思うでしょうから、断片的に色々な事件が起きていて、世の中物騒だな、と感じていたとしても、まさかそれらが全て同じ存在の仕業であったり、まさか仕組まれた事であることなど、人々は想像もつかない事でしょう。
その為、この先人類が気づきを得る為に、ある程度悲惨な現状を知るような出来事が起こる事でしょう。
苦しい状況にはなると思いますが、最終的には、必ずこの悪夢は終わります。
そして、この世界が終わった後は、新しい世界を作る時代となってまいります。
その時に改めて、人々はスピリチュアルリズムの存在や、未知なる生命体の存在、そして過去の真理に触れて行き、これからの未来への希望と共通の目的に向けた軌道を見出してまいります。
その先を生きていく為に、人々を直接導き、手助けをしていくのが、無冠の神通力を使う霊能者達でもあります。
人類と無冠は、直接の対話ができませんから、時に霊能者が代わりに天上の存在達からメッセージを受けて、人類に向けて伝える事もあるでしょう。
一人ひとりが本当に大切な事は何か気が付く為に、再出発をしなければなりません。
そしてその先については、どの書物にも、言い伝えや教えにも記されておりません。
今の時代を生き、次の時代へと紡いでいく私達が、新たに次の時代への道を作り、次の人類全体の課題、試練に向けて、再度遥か未来の私たちに向けて、教えを残していかねばなりません。
「死海文書」 「シルバーバーチの霊訓」と、現世までの預言書や霊訓は、数多く存在しておりました。
何世紀も前から続いているバトンが今、私たちの手元に託されております。
近い未来、私達の常識は何もかもが覆されていく事になるでしょう。
私たちの生活とスピリチュアルは、切っても切り離せない、そんな時代がまいります。
そしてその時を迎えるにあたり、一人でも多くの人がはっとするように、このブログに記載した事が、一人でも多くの方に伝わりますよう、願っております。
志す者は、迷わず即座に行動を起こす事です。
霊界は「人手」不足であります。
既に能力を持つ者は、更なる高みを目指す事です。
霊能者を含め、この世に生きる人類が協力をし合い、未来へ進んでいかなければなりません。
地上に生きる私たちの成長が、霊界そして宇宙全体の成長につながります。