現代人の私利私欲から来るカルマや人間同士の目に見えない争いについて〜真心の大切さ〜

エクソシスト問題の答えを発表いたします。

 

 

答えはセーレの「本体」でした。

3726人中正解は3007人、一般が243人、専門的な者が2764人となります。ぎりぎりまで迷っていた方々も、答えを出してまいりました。今回は簡単だったと思います。

 

「目を見たらエネルギーの強さを感じて頭が痛くなった」という方もいらっしゃいましたが、

本体と分身ではエネルギーの強さがまるで違います。

前回のアマイモンと比べると、こちらのセーレのエネルギーの方が強いです。それは、本体だからです。

一見真っ赤な姿に大きな瞳で本体のように感じて、裏をかいて分身にした方もいらっしゃると思いますが、

霊視は思考よりも直感、感じたものが真実となります。つまり、人間の雑念や深読みは的外れになってしまう事が多い、という事です。自分が見て思った、感じたものが目に見えるまやかしなのか、それとも第六感で感じているものなのか、

自分をいかに信じられるか、ひねくれた考えを持たずに素直に物事を受け止められるか、といった事も見て居ります。

 

 

これは、現代を生きる私達にとってとても大切な事です。

 

 

 

本日のブログのテーマは現代人の生き方についてです。

 

 

私達人間一人ひとりに価値観や個性がある事と同様に、人間の持つ願いにおいても十人十色でバリエーションが御座います。

 

 

しかし、それらの願いは全てが良しとされるものではありません。人間の願望や選択の中には、必ずエゴが潜んでおります。

 

 

 

鑑定において、恋愛の次に多いご依頼は「人間関係」のご相談になります。

一番多いのが仕事関係・学校の関係です。特に仕事関係での人付き合いというものは、私生活における人間関係と異なり、自分がどんなに合わなくとも周囲の人達と顔を合わせ続けなくてはならず、更にはそのメンバーでの連携を図っていかねばならない為、尽きない悩みに苦しみを感じる人がこの世の中には沢山存在しております。

 

よく、満員電車やオフィスなどを霊視いたしますと、どこも必ずといって良いほど邪気が酷く漂っておりますが、これは単純にその土地の地縛霊や憑き物だけの仕業ではなく、その場所を行き来する現代人の抱えるストレスや憎しみ・妬み、といった感情が邪気となり、蔓延している現状が御座います。

 

その場所や空間を訪れる際に邪気を吸い、何もないのに何となくストレスを感じてしまう事もあれば、行く先々でその邪気により良くない事が引き起こり、嫌な思いをしたりする事もございます。

更には嫌なことがあったからとそれを態度に出してしまう事で、他者に八つ当たりをしてしまったり、その八つ当たりをされた人が嫌な思いをするばかりか、その邪気ごと伝染する場合も御座います。こうして悪いエネルギーが、連鎖して広まって行ってしまうのです。

一体何故、こうなってしまうのでしょうか。

 

何故こんなにも邪気が増えているのでしょうか?

それは、以前からブログで掲載して居りますように人間誰しもに存在しているエゴの部分が関係しております。

 

私達人間は、十人十色で捉え方も人それぞれ、表現の仕方というものも人それぞれという訳ですが、実際に同じ空間で過ごしている人々は、同じ次元で同じ時の流れの中過ごしており、近い環境に居る人間同士においては、同じ出来事が訪れて居ります。

 

同じ出来事が起こる中でも、全く気にしない人もいれば、嫌な思いに感じる人も、意地悪な考えを持つ人間も居るという事です。

 

 

「四海兄弟」という言葉があります。

人と接する時は、真心と礼儀を持てば、人は兄弟のように親しくなれる、またはそのようにするべきという事です。

 

人間関係に悩む人の中でも、「人間が嫌い」という方がおります。人間関係に悩んで、私に相談しにいらっしゃる依頼者様もそう仰る方が非常に多いです。嫌いの定義も様々ですが、依頼者様などを拝見して居りますと、人当たりが良く、他者に対して疑う心を持たない方、人に何か良い事をしてあげたいという気前の良さすら持ち合わせる、本来は前向きなパワーが強い方だったり致します。しかしながら、今の世の中を生き抜く上では、人を疑う心を知らないと傷つく事になってしまったり、周りの人間から嫌な事をされてしまったり、損ばかりをしてしまうのです。一体何故、真心を持つと損ばかりをしてしまうのでしょう。

 

 

「意馬心猿」という言葉が御座います。

人間には必ずある煩悩や情欲、妄念といった存在が本人の心をかき乱し、落ち着かない様を指します。その煩悩というのはどこから来るのか。

私たちがこの世の中を生きていく以上、凡ゆる物事が関わってまいります。すなわち凡ゆる物事において、私達人間には悩み事が尽きないという事です。

悩みや苦しみの実態とはどこにその根源があり、その苦しみが人を襲ってくるのでしょうか。

 

その根源というものは、実際は人それぞれに存在を致します。先ほど申し上げたように、人それぞれに受け取り方、表現の仕方があるからです。

ただ、その根源は最終的に一つに辿り着きます。

 

繰り返しますが、私達人間には欲が御座います。その欲というのは、元々の人間が初めから持っている欲だけではなく、人間同士が関わり合う中で無限に増幅していく欲があるのです。その増幅の範囲と致しましても十人十色という事です。

 

例えば初めは何の気無しに接していたとしても、途中からその人間を妬ましく思い何かしら意地悪を言うようになったり、自分が上に立とうと攻撃的な態度になる等、その本人は必死ではあるものの、突然相手の態度が変われば当然される側も嫌な気持ちになり、関係に亀裂が入っていくという事です。

自分が優位に立ちたいからと、共通の知り合いにあれこれ言う事で都合よく操作しようとしたり、状況が苦しくなれば突如被害者のような顔をしたり、人間関係のご相談においても凡ゆるケースが御座います。

嫌なら離れれば良いものの、そういった感情を持つ者というのは、妬ましいと思う対象に執着し、自ら関わっていくようになります。それが人間のエゴという事です。気に入らないなら八方塞がりにして潰したいという自己欲求の為に時間と労力をかけて執着をするという事です。

私達人間には同じ次元で同じ時の流れの中、同じ世の中を過ごす為、生きる時間を与えられて居りますが、それぞれの人間に今まで生きてきた前世の在り方やカルマからなる位があり、また前世以前に関係があった縁(ご両親等は前世も関わりがある事が殆どです)などから生まれや生い立ちを始め、自らが進む道や友人なども自分だけのカラーが御座います。人と違って当たり前という事です。

しかしながら私達人間の心の奥底には必ず自らの欲から来る理想や願いや欲求が存在しており、それらのイメージに対して自分の理想とするものを持っている相手を見ると、その人のその部分だけを見て妬ましいと思うのです。

星の数ほど人間が存在している世の中において、そのあらゆる望みや願いが混在している事から、叶うものや叶わないもの、白黒がはっきりつかずにモヤモヤする者もでてきて、それに対してもまた人間の欲から凡ゆる感情が生まれ、その感情からまた人間の行動が起こり、それに対してまた悩み苦しむ人間が出てくるのです。すなわち、人間の欲求から成り立つ願望が根源となり、人間の悩みや苦しみが生まれてくるようになります。

それは、ただ自己中心的な願望のみならず、その人にとっての当たり前な事も叶わないとなれば悩みになるという事です。

自分が良いと感じた事を、他者が難なく持っていたり行っていると悔しいといった感情が生まれ、人間の悪い部分を引き出していきます。

人間はそういった感情を持ち合わせますと憎しみや逆恨みのような感情も生まれますから、よく鑑定など拝見したりお話を聞いていても垣間見る事がございますが、例えばその執着している相手が、その人の写真をわざわざ印刷してハサミで切り刻むような事を家で一人でやっていたりですとか、占いサイトなどを彷徨い魔術や呪いをかけてくれる人を探していたり、組織に所属している者であれば術師に頼んで潰しをお願いしていたりですとか。

あと非常に多く見受けるパターンなのが、物事を思い通りにするために例えば同じ職場や同じお店の上の人間などと関係を持ち、自分の妬ましいと思う相手に意地悪をするように吹き込む等の行為です。

他にも直接できるようなありとあらゆる嫌がらせに時間を費やしている事も非常に多く見受けられます。

中には不倫がバレそうになり離婚されそうなところで、不倫相手との子供を自分の夫との子供と嘘をついて出産する等というパターンも御座いました。そうする事で子供も生まれたからと離婚出来なくさせようと、更には不倫相手を愛しているからその人の子供も産んで関係を続けたいというエゴも御座います。こんな事をしても誰も幸せになりません。

これらは、単純に自分で自分の欲から生まれる醜い感情に溺れ、自家中毒状態になっているに過ぎず、本人も非常に苦しい状態です。

人間は欲に溺れ他者を妬む感情を持ち合わせますと、いかなるモンスターにもなれるという事です。

 

実際の所、一人一人の人間にはそれぞれのカルマやその人に置かれた環境という事情が存在して居りますから、全く同じ条件に生まれ、同じ環境で過ごしたとしても、全員が同じものを得られるとは限らず、またその人のチャンスを掴むことができるかの命運、そして実現することが出来るかどうかの器にもかかっている為、同じように生きようにも当然一人一人の人生に違いは出てまいります。そして自分が成し遂げる事が出来ないのであれば失うものも時としてあるという事です。

 

そしてそれを受け入れる事が出来ないのであれば、それがまた悩みや苦しみになるという場合もあります。人間はその願望と実際のギャップに悩み苦しみ、そしてその根源は人間の欲求から来ているのです。人間の器としては限界が各々に存在しているものの、人間の欲求というものには果てがないからです。そしてその欲求というものは人間誰しもが簡単に抱くことが出来るものです。ですから、誰もがエゴモンスターになる可能性があるという事です。

 

欲望から来る人間関係の苦しみというものは、イルミナティやフリーメイソン等の組織の人間達にも言える事です。

 

「家鴨も鴨の気位」という言葉が御座います。

これは、それ程でない者が高い気位を持っているという意味の言葉です。

ねずみ講等の人間を騙す行為を行い、「いかに卑劣残虐で人間を苦しめる事が出来たか」等という事が組織内での出世条件でもありますが、こういった人の人生を潰すような事を繰り返し行なってきた人間が組織の上層部として君臨している現状が御座います。

詳細をよく分かっていない下っ端や、金銭的に立場的に雁字搦めにした部下、また同レベルの思考即ち人の苦しむ姿に興奮を覚えるような変態的な部下達なども含め、大勢の人間にあらゆる悪事の指示をし続けて居ります。

 

組織の中には、家族全員の安全がかかっている為に逆らえないだけで、苦しい思いをしている人間も居るという事です。

これは、上に立っている人間達に器がないからこそ、間違った格差状態が生まれてしまっているのです。

恐怖によってしか人間を支配できていないという事です。もちろん中には、組織にいる事を鼻高々に悪い事をしている下っ端もいるでしょうが、彼らは上層部の実態など知りもせず、その下の中堅レベルの者から良いように騙し動かされているという事です。勿論、ただそこに所属していて深い事情を知らない人間も沢山存在をして居ります。

 

しかし、私達人間という生き物は欲望というものを抱かずにはいられない生き物です。ですから悟りを開く事が出来ずに繰り返し繰り返し転生をし続けて、少しでも悟りに近づく事が出来る様に修行を重ねています。

欲望を取り払う事が出来ないのであれば全てが罪になるのか、というとそういう訳でもありません。

 

以前ブログにて、悪と善は紙一重、とお話したと思います。

悪を極めると言うことは、「善とは何か」を理解する事が出来るからです。

 

一度徹底して悪に陥ったものは、何か地に落ちるような、今までの自分が間違っていたと悟るきっかけがあれば、自分自身がいかに有りと凡ゆる全てが間違っていたか、猛烈に悔いて気付く事が可能と言うことです。即ち、他者を妬み嫌がらせをしているような人間も、また組織にいて悪の道に進んでいる人間達にも、大幅に変わるチャンスがあると言う事です。後者に関しては、上層部に逆らえずに苦しんでいる人々も勿論含みます。

 

人間は慈悲が与えられる事が許されて居ります。一度だけ、気づきを得るチャンスというものが誰しも与えられているものです。

それに気付く事すらしなければ、変わる事など出来ずそれ相応の道を歩む事しか出来ないでしょう。撥が当たる事も当然あります。

 

私達人間には、前世から引き継ぐカルマもあれば、今世で作り出したカルマが今世に来る場合も御座います。つまり、今世で作り出したカルマにより病気になったり、事故や怪我に繋がる事も御座います。カルマの恐ろしいのは、本人のカルマだけでなく、そのご家族や結婚相手、また結婚相手の親族のカルマが突然自分に現れてしまう事もあると言う事です。カルマが来てしまったら、自分自身で受け入れ乗り越える以外には、施術でも直接手を出す事は禁忌となって居ります。

カルマとの縁切りをし続ける事はやり方としては唯一出来る事ですが、既に重い症状で発現してしまっている人は、直接的に施術で働きかける事は難しいでしょう。ですから、今世においても間違った道を進もうとしている方は、早急に引き返す必要があるという事です。何故なら必ず、自分に返って来るからです。

 

話は戻りますが、「組織の人間において悪に走る人間でも、変わるチャンスは与えられる」と書きましたが、上層部の中でも特に幾度となく人を苦しめ貶めてきた、多くの人間を私利私欲の事情のみで葬ってきたような者や、人が苦しむ姿に興奮を覚え、快楽に感じている者、悪魔と既に統合して悪魔そのものとなり動いている者達においては、彼らには変わる余地と言うものは一切ございません。彼らにはそれ相応の結末が待っている事でしょう。それは、この世界におけるルールに違反しているからです。勿論それに完全に同調して、分かっていてやっている下の人間達も同様です。そういった事にあまり関わりなく、単純に実績や実力があって上層部になっているような者は別ですが、人を苦しめているような悪魔の化身のような人間は、慈悲を与える価値がありません。そういった人間は、誰かが手出しせずとも必ず本人に返って参ります。

 

しかしながら組織においては、状況をよく分からずに騙されて入っている、利用されている人間が非常に多いと言う事です。本人は組織に入っている事すら気付いていない場合もありますし、逆にいかに自分達が組織に染まり切っている、と思って世の中を馬鹿にしていても、実際は組織の上からは真実の全貌など全く伝えられず、嘘の情報に踊らされているだけのケースもあるという事です。

 

依頼者様の中には、沢山組織による嫌がらせ行為を受けた被害者の方や、何かしらを憑けられてしまい駆け込んでくる方等もいらっしゃいますが、一体なぜ組織の者は平気でそのような事をしてくるのでしょうか。

その嫌がらせ行為の実行犯、すなわち駒として動いている人間には霊能力が無い場合も多いです。霊視をしたり、何か憑き物を飛ばしたり黒魔術をかける人間はバックにいて姿を最後まで表さず、表に出て来るのはむしろ力のない、ただ所属しているだけの一般会員のような者が多いです。

 

力のない一般会員が何故、人に平気で酷い事が出来るのかというと、洗脳でそのように振る舞えと指示されている事も勿論ございますが、一つの事を大人数で行うという安心感や、大きな組織がバックにいるという強気な姿勢、そして何かあれば術師にすぐ言えば何とかしてくれるという絶対的な勝利の確信から、気持ちが大きくなって指示以外にも自分のエゴや欲求も言動に混ぜて嫌がらせ行為を行うからです。要するに集団リンチ、いじめ行為の延長のようなものです。

どんな人間でも、同じ立場同じシチュエーションで、善良な心が働く事は中々難しい事でしょう。そういった人間はまずこういった事に加担をしませんから。

こういった現象は何も組織だけに限らず、例えばネット上においても同じ事は言えます。顔が見えないから、個人情報が分からないからと言って好きにしている人間は沢山いるという訳です。実際に何か大きな事件に発展したり、何か訴訟などあれば「そんなつもりは無かった」「ただの暇つぶしだった」「ムシャクシャしたから」となんの責任も持つつもりもなく、後先何も考えず他者を虐げる事に快感を覚えるだけの行為をしていたという事です。こういった人間のある種サイコパス的な一面は、非常に悪魔的と言えます。

 

また組織内においては、そのような人間のエゴや欲求は当たり前となっており、何かあればすぐ黒魔術を術師に頼めますから、気に入らない一般人がいれば平気でこの人間を潰してくれ、と依頼をしたりも致します。気に入らないから潰すという考えは悪魔的でしかありません。それが上層部となれば、人に簡単に死ねと言えば「はいそう致します」となるような下っ端が沢山居る状況になりますから、ますますやりたい放題という事です。

 

 

 

霊能者にとって、黒魔術という行為は本来は禁じられている事です。何故ならば、悪魔の力を使うものであり、私利私欲で力を行使するものだからです。この人が嫌いだから呪ってください、というようなご依頼も、当然お断りして居ります。

先程記載いたしましたカルマも同様です。カルマそのものを取り除く、カルマにより引き起こった物事の解決を手助けする事は禁じられております。

 

 

人間の欲望は果てなく簡単に生み出せる者であり、間違いも簡単に引き起こす事は出来ますが、最後は自分で回収をしなければならないという事です。

 

人間は、知恵を持つと「悪知恵」というものも生まれます。

例えば嘘をついたり言い訳をしてその場凌ぎで騙し騙し行こうとする者も多いですが、実際カルマというものはそう言った嘘など通用せずに課せられるものになります。

 

霊能の素質が元々強い人等は、常に見られているような気がして、悪い事は行ってはいけないと常々思って生きてきている方も居ると思いますが、実際にそれは宇宙の法則を感じていて、賢明な判断という事です。

 

しかしながら現実社会においては、悪魔的な思考を持ち合わせつつもこの悪知恵を働かせてばかりの人間が沢山居る現状が御座います。要するにこういった人間が「生きるのが上手」「世渡り上手」と言われるのでしょうが、実際に蓋を開けたら打算的な事ばかりで信用が出来ないとも言えるでしょう。

鑑定でよく、この人には言っても良いですか?言わないでと言えば良いですか?と聞かれる事もありますが、絶対言わないからと約束をしたところで本当に守られる事など非常に少ないのが現実です。

約束を守る事より情報を売り注目を浴びる事、自分の発言で波紋を呼ばせたいような欲求に駆られ、負ける人間の方が多いという事です。そこには他人の不幸は蜜の味、という事もあれば、八方美人にしてどの立場にも都合よく居られる様な、そんな狙いもあるでしょう。

一つのコミュニティを生きる上でも、こうやってずる賢く打算的に生きないと周りに潰されてしまうような、そんな嫌な世の中になっております。

実際人間には、悪い面もありつつも良い面もありますから、例えば人を信じない、人間が嫌いと言っても、信じてしまうものなのです。だからこそ、イルミナティやフリーメイソンなどの大きな組織においても明らかに道を外れたような行為をさせられたとしても、周りがしているのを見ていたとしても、組織を信じてしまうから、気を許してしまうのです。

ですから仲間意識や結束感が強かったりもいたします。(そして、上層部に従順に従わせ続ける為にもそういった結束の様なルールが定められております)

他方で、一般の人間においても、例えば言い方・聞こえ方などを計算したりして、常に自分に有利になるように物事を動かそうとして陰湿にいじめをするような者もいれば、自分が都合が悪くなれば突然被害者ぶって遠回しないじめをするような人間もいるという事です。先程挙げた、約束を守る守らないもそうです。一貫して自分の信念を貫く様な人間は、今の時代中々居ないという事です。誰もが打算的に、自分の欲が叶うか、損得勘定で生きております。

 

悪知恵は、悟りとは程遠いものです。

霊能力とは悟らないと得る事は出来ず、その悟りの為に、霊能者は一生かけて修行を積んでおります。霊能者に限らず本来は命ある生き物全てに修行があり、その結果ペナルティのようにカルマが課せられる訳ですが、霊能者として並外れた力を発揮する為には、一般の人以上に、多岐に渡る悟りを開く必要があるという事です。

ですからただ霊能力が欲しいと、欲の気持ちで目指しても、何も開花をしないのです。

 

知恵にも二種類ございます。先程から記載して居りますような悪知恵とは異なった、良い知恵の事です。例えば私達が今生きていて便利に感じている文明もそうですが、先人の知恵等は良い知恵になります。

昔に名を残している開祖や僧侶等においても、悟りを開くという言葉が使われていたと思いますが、悟りを開く事で開眼をし、慈悲の心を持つ事でその力を使う事を許されてまいりました。西洋でも同じ事です。隣人を愛すべきという事も同じ真理に基づいて言われています。

 

これらは、ただ道徳じみた事を解いているわけでは無いのです。その言葉と教えには、想像も絶するような深みが御座います。

 

 

「生者必滅」「会者定離」という言葉が御座います。

これは、命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるという事を肝に銘じて、

自分自身が出会う人には自分の最善を尽くすという気持ちが必要だという意味です。

 

 

私たちはこのような気持ちを大切にし、与えられている限られた時間、縁というものを大切に考えながら人生を過ごしていく事が大切です。

 

現代を生きる私たちにおいては自分さえ良ければ良い、他人の不幸は蜜の味、自分が一番、といった人間が非常に多く、これらの教えとは正反対に生きている者達が沢山いる現状にあります。

 

他人を簡単に信じてはならない、人間は裏切るから、人間が嫌い、こういった思いをする人達も非常に増えて居ります。それは、簡単に裏切る人間も多いからです。嘘を平気でつく人間も多く、世の中が嘘でまみれている所為もあります。

そういう状況の中で、他人を信じない、という人の他にも他人に興味がない、という人間も増えております。人にどう思われても自分は自分だから、という意味ではなく、こういう事をして他の人が嫌な思いをしようとも関係ない、というケースです。

ですから、自分が為す事にも配慮が無くなってきて、いわゆる本能のまま、欲求のままに行動して、自分が人に何をしているのか自覚の無い人間も、現代には沢山存在しております。

気付く人等はまた、受け取り方にもよりストレスに感じたり、イラつきを感じて嫌がらせをするような人間も居るでしょう。

こういった状況の中で、本当に心が優しくて辛い思いをただ堪えるばかりでいる人間も、度が過ぎて行けば次第に相手や世の中に対して恨みや憎しみの感情を芽生えさせていきます。この感情が世の中の全てを恨むようになるとネガティブエネルギーを放つ事になるのです。ネガティブエネルギーを持っている人も、実際に接してみると人が良く、本人には良い所が沢山あるのですが、心の奥底にこの世を恨む感情があるせいで、凶悪な邪気を生み出してしまう事もあるのです。

その邪気が本人やその周りの人間を蝕み、更に嫌いな人間にも無意識に飛んでしまい、ますます悪いエネルギーが拡散されて行ってしまうのです。

結局、悪い人間からも邪気は放たれますし、良い人間も嫌気が差したり腐れてしまうと邪気を放つのです。つまり現代の人間の欲そのものが悪いエネルギーを生み出してしまう、人の数だけ悪い方向に引っ張られてしまうという事です。今の生き方では、そうなる一方です。

 

満員電車にも邪気が多いと書きましたが、本当にこの邪気という者は恐ろしいもので、霊体と融合して邪鬼になってしまう事もあり得ますし、邪気もあまりに酷いと事故や怪我に繋がってしまうことも多いです。後は突然病気になってしまう事も御座います。

 

そして、悪い感情やストレスというものは、簡単に連鎖して広がっていきます。

こんな世の中だから尚一層、黒魔術などが流行り、悪魔にすがる人達も多いのです。

 

また、悟りから遠ざかる一方ですから、非常に浅はかな思考で生きる人間も増えました。

後先考えず目先の欲だけで生き、気に入らない者は今すぐ潰したい、というような考えなしの人間も非常に多いです。

真実が見えていないのです。自分でカルマばかりを増やして、折角今世人間として生まれているにもかかわらず、非常に勿体ない事です。

 

古くから残っている教えというものには理由があり、そして真理は共通しているという事です。

私達人間は、心がけて意識的に変わらないと、この先自分たちのエゴと欲望に呑み込まれてしまいます。

即ち、悪魔的にしか生きられなくなるという事です。

毎日ストレスを抱え、カルマを重ね、不運が多発してしまうものの誰も助けてくれない世界になります。誰一人信じられず、今の時代以上に孤独を感じながら生きる人間も増えていきます。

治安も悪くなり、潰し合いが当たり前の世の中になる事でしょう。勿論、現代においても虫も殺さないような顔をして、陰でそういった卑劣行為をしている人間は男女問わず一定数存在をしている訳ですが。

全員がそうなって仕舞えば最後、来世人間から木や虫に逆戻りする者や、悪魔と統合して存在そのものが消滅してしまう者、消滅すら許されずに地獄を永遠に彷徨う最も重い罰を受ける者等も次々出て来る事でしょう。何も良い事などございません。人間自体が滅ぶかもしれません。

真理とは、簡単な事ですが、分からない、気づけない人が非常に多い現状があります。

 

これからの生き方について、今一度私たち一人ひとりが見つめ直していく必要があるという事です。